Scars of the divine wing:4

BACK HOME NEXT

「すいません」
「あらいらっしゃい、何か依頼かしら」

遊撃士協会と東方の文字で書かれたドアを開けば、野太い声が迎えてくれた。

「いや、依頼ではないんですが。こちらにアリオス・マクレーンさんがいらっしゃると伺って」
「あら観光客? 生憎だけどアリオスは今日は聖ウルスラ病院の方へ行ってるわよ」

険を帯びた声に、苦笑してぺこりと頭を下げる。

「名乗りもせずにすいません。リィン・シュバルツァーといいます、こちらはマキアス・レーグニッツ。クロスベルに来たついでに兄弟子にあたるアリオスさんにあいさつをと思いまして」
「兄弟子っていうと、あなた八葉一刀の?」
「はい、初伝どまりですがユン老師に教えを受けました」
「ちょっと待ちなさい、八葉の使い手でリィンって……あなた」
「はい……?」

カウンター越しに、ぐいっと掴まれ引き寄せられて慌てる。

「サラの教え子ね!? なによもう最初からそう名乗りなさいよ。警戒して損しちゃったじゃないの」
「は、はい……っえっと、すいませんでした」
「サラの教え子ならうちの子も同然なんだから、気軽にミシェルって呼んでちょうだい」

がしがしと頭を撫でられて、リィンは反射的に謝ってしまう。

「トヴァルから聞いてたけど、ほんとかわいいわねー」

一体何を言ったんだトヴァルさん、と脳裏でレグラムの遊撃士を責め立てたところで答えはない。無理矢理引きはがすこともできなくはないと思うが、ここはおとなしくミシェルが満足するまで耐えた方がいい気がする。
さんざん撫でたくられてようやく解放されて。リィンは恨みがましく無傷なマキアスを半眼で見据えた。

「さっきも言った通りアリオスは病院よ」
「……えっと、お見舞い……ですか?」
「ええ、娘のシズクちゃんのね」
「そうですか」

ならば、今回は挨拶するのはあきらめた方がいいかもしれない。マキアスと視線を合わせて頷く。

「こんなときに限ってヴェンツェルは入れ違いで帝国に手伝いに行っちゃってるし」
「ヴェンツェルさん?」

聞きなれない名前に、首を傾げる。

「帝国出身でうちの支部にいる遊撃士よ。サラやトヴァルの昔の同僚ね。今でも今日みたいに、よくトヴァルの手伝いにも行ってるわ……二年前の帝都での遊撃士協会支部襲撃事件の当事者の一人なんだけどね」

なるほど。
運は列車内でのブレード勝負で使い果たしてしまっていたらしいと苦笑する。

「遊撃士になりたくなったらいつでもたずねていらっしゃいね」

そんなミシェルの言葉を受けて、リィンとマキアスは遊撃士協会を後にした。

「収穫は特になし、か」
「そうかな。掲示板にいっぱい張り出されてた依頼とか、シフト表とか、遊撃士が受け入れられてるのが見れてなんとなく納得した部分もある」

ぐしゃぐしゃにされた髪を適当に手櫛で整えながら、リィンはマキアスを見上げた。

「じゃあ次はデパート行こうか。セピス換金もしてもらえるといいんだけど」

特別実習や旧校舎探索で倒した魔獣が落としたセピスは、それなりに溜まっている。今とりたてて必要なクオーツもなく溜まっていく一方だ。

「交換レートがいいといいんだけどなぁ」

そんな呟きは、百貨店《タイムズ》で換金を頼んでレートを提示された瞬間に吹き飛んだ。

「……なぁ、マキアス」
「ああ、往復運賃払ってでもこちらまで来て換金するほうがいい気がする」

十倍近いレートの差は、クロスベルが金融都市でもあるせいなのか。
最初に想定していた十倍のミラを手にして、顔を見合わせる。

「帝国だとセピス塊からセピス抽出できるようになってセピス価値が下落したのかな……」
「そう考えると、技術の進歩も良し悪しか」
「とりあえず先にみっしぃ買っていこうか。そっちにみっしぃコーナーあったし」

リィンの感覚ではそれほどかわいいとは感じないそれを眺める。

「ラウラとフィーにお揃いでいいかな、アリサはどうだろう」
「彼女ならそちらの工房の導力器のほうが喜びそうだな」
「そうだな、あとで見に行こうか。あ、アルモリカ産の蜂蜜もあるな、ユーシスとシャロンさんへのお土産はこれにしようか」

クラスメイトの好みを思い出しながら、一つ一つ選んでいく。
そうして買ったお土産は、男二人でもなかなか手ごたえのある重さになっていた。

「……トリスタまで送りたい」
「郵送サービスも扱ってるだろうけど、でもやっぱり手渡しのほうがお土産っていう感じがしないか?」

苦笑しながら、紙袋を抱えなおす。

「お客さま、荷物の一時預かりのサービスも行ってますのでよろしければご利用くださいませ」

支配人らしい紳士に案内されて、厚意に甘えることにする。お土産の山を受け付けに預けて、二人で二階へと階段を上る。

「なぁ……服がこれだけあると何を選べばいいかわからなくならないか?」
「今着ている服は?」
「エリゼと母さんが選んでくれた」

そうだろうとは思っていた答えに、マキアスは深く溜息を吐く。

「……もう、店員に選んでもらえ」
「それが一番無難かな」

店員を呼べば、プラダという名札を付けた女性が走り寄ってきてくれる。観劇用の服を探していると予算とともに告げれば、彼女はいくつかのシャツとジャケットを見繕って並べてくれた。

「お客様の髪と目の色でしたらどんなお色でもお似合いですけれど、やはり赤系がしっくりきますね」

そういって強めに進められた深い赤のジャケットと淡い紫のドレスシャツは見慣れた色合いで。思わず苦笑を浮かべる。

「なんか、制服持って来たらよかったんじゃないかっていう気がしてきた」
「それだけ似合っているということだろう」
「どうだろう、えっと、じゃあそれを一揃えお願いします」

会計を頼んで待つ間、百貨店の店内を見渡す。

「結構みんな屋上へ登っていくな、何か催し物でもやってるんだろうか」
「屋上からだとオルキスタワーがよく見えますから」

大変お待たせいたしましたと商品を渡しながら、店員が教えてくれた。

「……見に行ってみるか」
「そうだな」

それも後学のためと理由を用意して、二人で屋上へと上がった。

「クロスベルについてからずっと見えてたけど、こうしてみると冗談みたいな高さの建物だな」

こんなものを、人間が建ててしまえるのだと。それも、人の持つ力なのだろう。それだけのミラと技術と人員が投入されて作られたのか。

「ディーター市長か。マキアスは会ったことはあるのか?」
「別に貴族と違って知事の息子だからといってパーティーとかにそれほど頻繁に呼ばれるわけでもないからな」

それほど頻繁ではないとはいえ皆無ではないのだろう。

「それでも俺よりは世界を見てるんだな、マキアスは。成績もいいし」

トールズ士官学院に来るまでリィンが知っていたのは、ほとんどユミルだけだ。

「マキアスは学院卒業したら、正規軍に入るのか?」
「どうだろうな……父と同じように文官として公務員になる方が向いているんじゃないかとも思っている」

オルキスタワーを見上げたまま、内心を吐露するマキアスをリィンは眩しげに見あげた。

「先は議員か大臣?」
「どうだろうな、君みたいに人を誑し込むことはあまり得意じゃないからな」
「俺は誑し込んだ覚えはない」
「無自覚なら、なおさら性質が悪い」

気安げに投げられた言葉はどこかくすぐったいと苦笑を零し、再び視線をオルキスタワーへとむける。

「トワ会長も公務員かな」

あの日、あの場所でオリヴァルト皇子やオズボーン宰相の手伝いをしていただろう先輩の姿を脳裏に描く。

「未来にはマキアスとトワ会長が同僚になるのかもしれないな」
「まだ決めてないが、可能性だけならな」
「可能性……か」

呟いてリィンは目を細めた。

「士官学院に入って、特別実習でいろんな場所を回って見て、道が見つかるかと思ったけど実際はさらに深い迷路に迷い込んだ気がする」
「……とりあえず腹が減った状態で考え事をしてもろくな事を考えつかないだろう。遅めの昼食にしないか?」
「そうだな、何にするんだ? カフェレストランヴァンセックとか龍老飯店とかおすすめらしい。屋台も捨てがたいしパン屋さんもおいしそうだな」

レクターからもらったという地図を広げて、いくつかの店を提示する。

「そうだな……せっかくだから東方料理にするか」
「じゃあもう一回東通りだな。荷物は帰りに受け取ればいいか」

地図を鞄にしまって、先を歩く。

「東方料理には詳しいのか?」
「そうだな、ユン老師のところで修業していた間は毎日食べてた」

思い出を噛みしめるように、大切そうに。笑みを含んだ声で答える。

「箸の使い方が難しくてさ、苦労したな」
「箸が使えないとだめなのか?」

少しうろたえるマキアスに、リィンは大丈夫だと笑って見せた。

「お箸が苦手な人向けにフォークやスプーンも用意されてるから心配いらないって書いてある、似顔絵付きで」
「……あの人、ほんとに特務大尉なのか?」

意味の分からない行き届いた配慮に、嘆息する。

「まぁミリアムのお兄さんみたいなものだと思えば、あんな感じでも不思議は……あるな」

鉄血の子供たちという存在と、その主であろう鉄血宰相に謎しか覚えない。

龍老飯店で東方料理の旨さに舌つづみを打って、再び戻ってきた中央広場。オーブメントショップへと向かう。
展示されている最新式らしいオーブメントは、最新式すぎてリィンとマキアスにはよく理解できなかった。

「アリサやジョルジュ先輩なら、見たらいろいろわかるんだろうな」

ショールームは学生の身には少し敷居が高い気がする。

「あっちの……ENIGMA? オーブメントのカバーとかストラップとかならなんとか使えそうじゃないか?」
「……サイズ合うのかな」

ポーチから取り出したARCUSに、見本品を重ねて見てみる。

「やっぱり形が合わないか」
「いろいろカバーとかストラップとかつけられるのは面白そうだな、個性の見せどころというか」
「ARCUSは支給品だからな、勝手にカバー付け替えたりはできんだろう」

店内で小声で話していると、ふと後ろに人影が立った。

「お客様?」
「……はい」

おそるおそる振り返れば、工員らしき少女がにっこりと笑っている。いや、笑っているのは口元だけで目はきらきらを通り越してぎらぎらと光っている。

「あの、お客様方がお手に持ってらっしゃるのは」
「……あ」

そういえば手にあることになじみすぎてはいるけれど、新型戦術オーブメントは考えてみればエレボニア帝国軍事機密にあたるものなんじゃないだろうか。

「すいません、お邪魔しました」
「あ、待ってちょっと見せて……って行っちゃったかぁ」

珍しいオーブメントを前にわくわくと目を光らせる少女から、慌てて二人して逃げ出すように店を後にした。

「……食べた後に走るのは、きついな」

中央通りを走り抜け、西通りへとさしかかったあたりでようやく足を止める。気構えしてなかった状態での全力疾走は、意外に体力を消耗させたらしい。普段はこれくらいの距離を走るくらいで息は上がらないけれど、今は肩を上下させて喘ぐ。

「うかつだった。カバー見ただけで最新型だってバレるもんなんだな。職人相手だと」

開いて中を見せたわけでもないのに、カバーがついた状態のARCUSを見ただけでそれがクロスベルには存在しない導力器だと見破った少女の慧眼に感服すると同時に末恐ろしさを感じる。あの目の輝きは下手な魔獣を相手にするより恐ろしかった。

「西通りから住宅街を抜ければ、劇場のある歓楽街だな」

満腹だというのに鼻腔を擽る焼きたてのパンの香ばしい香り。百貨店とは違う日用品を扱っているらしい店に、法律相談所。東方風な東通りやクロスベルの象徴である大鐘を飾る中央広場とはまた違う雰囲気の通りだ。

「……少しオスト地区に雰囲気が似てる」
「そういえば、パン屋さんからいいコーヒーの匂いもしてるな」

元気がよすぎるくらいに走り回っている子供たちにぶつからないように、石畳の道を歩いていく。
景色からアパートが途切れ一戸建ての建物が多くなってきた頃には、雰囲気はずいぶんと変わっていた。
瀟洒な建物が並ぶ高級住宅街。少し場違いな気すらして、気後れしそうになる。
口には出さずにさっさと通り抜けてしまおうと視線を合わせたリィンたちの耳に、この街にそぐわない轟音が響いた。

「……導力自動車!?」

黄色と黒の警戒色にカラーリングされた車が住宅街の石畳にタイヤ痕を残しながら猛スピードで走り抜けていく。

「あぶないな、マキアス気をつけてくれ」
「君こそ、な」

Ⅶ組の重心は極度のトラブル体質でもある。それに身食いに等しい自己犠牲精神の持ち主だ。
どちらが危険かといえばリィンの方だろう。けれど、それをやめろといって聞く男でもないことはマキアスはすでに体験済みだ。
嘆息しながら車から離れようとした視界の隅に、紅い何かが過った気がした。

「……コリンっ」

止める暇もなく、リィンが車の方へと飛び出していくのを。マキアスは茫然と見ていることしかできなかった。
紅い何かが幼い男の子の髪で、暴走導力自動車から逃げようと走っていたけれど子供の足では間に合わない距離だとようやく判断する。
それを助けるつもりなのだろう。
駆け寄って子供を抱き上げて、二人とも車にぶつかる寸前。
リィンは子供を抱えたまま、道沿いのフェンスを飛び越えた。
暴走車がフェンスにぶつかって止まるのと、派手な水音と水柱が上がったのがほぼ同時。

「……っ、あの、馬鹿が」

罵声を上げて、マキアスはフェンスから下を見下ろす。そこがたまたま池だったからよかったものの、下手をすれば車に轢き殺されるところが墜落死に変わるだけだっただろう。
見慣れた黒髪の頭が水から浮いて、赤毛の子供を抱えたまま泳いで岸へと向かう姿に、ようやく無事を確認して息を吐く。
フェンスを飛び越えて降りはせずに、ちゃんと下へ続く階段を駆け下りてリィンと子供に駆け寄った。

「リィン! 君という奴は……っ」
「ごめん、コリンを」

どこまでも自分は後まわしにするその性質に怒りを覚えるけれど、確かに優先するべきなのは子供の安全だろう。
水の中から抱き上げれば、赤毛の子供はにっこりと笑った。

「怪我はないか?」
「うん。すみれ色のおねえちゃんが守ってくれたから」
「……は?」

言われた単語の意味自体はわかる。けれどそれが繋がった状態を表す存在は、この場にはいないだろう。菫色、というならばリィンの眸の色がそうといえなくもないだろうけれど。エリオットはともかくリィンを女性と見間違えるものだろうか。
そう思って水中にいるリィンへ視線を向けて、マキアスは自分の想像力の欠如を思い知らされた。
普段は癖で撥ねている髪が濡れた重みでぺたんと張り付いていて、自分が感じていた以上に長さがあることに気付かされる。パッと見には確かにショートカットの少女のように見えなくもないかもしれない。

「……マキアス」
「いや、リィン」

唇を引き結んで、水中にいるままのリィンへ手を差し伸べる。
掴まれた手に伝わる冷たさに、鼓動が跳ねた。
それほど接触することが多いわけではないけれど、たまに触れるリィンの体温はどちらかというと高めで。
こんなに冷たいはずがない。
慌てて水中から引き出せば、顔色が明らかに悪い。

「……どこか怪我をしたのか?」

見た目には、傷があるようには見えない。あの高さから水に落ちた衝撃で骨や内臓に異常が出ているのかもしれない。

「病院か七曜教会に」
「大丈夫だ、体はなんともない」

どうみても大丈夫には思えない様子で。リィンが苦笑する。

「君はもう少し自分を大切にしろ」

何度言っても、通じないのだろうこの男には。それでも口にしてしまうのは、マキアスの自己満足にすぎないのだろうけれど。

「この上なく大切にしてるさ」

どこがだと叫びたくなるのを、ぐっと飲み込む。
導力自動車事故に慌てて住人が飛び出してきた。加害者である導力自動車の運転手も降りてくる。

「コリン……!!」

子供と同じ赤毛の夫人が階段を駆け下りてくる。

「だいじょうぶだよ、またスミレ色のおねえちゃんがたすけてくれた」
「え?」

コリンと呼ばれた少年の言葉に、女性が周りを見渡す。その場にいるのはずぶ濡れのコリンとリィン、あとはマキアスとベンチの上で右往左往している老人だけだ。リィンが深く俯いたままなので彼女の視界には『すみれ色のおねえちゃん』らしき姿はない。

「えっと、あの、息子を助けていただいてありがとうございます」
「……」

婦人の言葉に、リィンはびくりと身を震わせた。眸が揺れて、何かを耐えるように唇をかみしめ俯く。その様を意外に感じながら、ふとマキアスの脳裏に過ったのは赤毛の《かかし男》の言っていた、吸血鬼という言葉。
ありえないな、と首を横に振ってくだらない考えを追い払う。

「いえ、この男の悪癖のようなものですから気になさらないでください。息子さんが無事で何よりです」

応えないリィンの代わりに、マキアスがそう口にする。

「あの、お怪我とかされてるなら病院かうちへ……」

婦人の申し出に、リィンは俯いたまま怯えたようにふるふると首を横に振った。

「でも、服も濡れてますし具合も……息子の恩人に、寒い思いをさせたくはありませんし」
「それならうちにこればいい」

もう一つの声に、婦人とマキアスが視線を上げた。
紫の髪の少年が、リィンを見下ろして笑っている。

「おい、ユーリ。僕達のせいなんだぞ」
「だからこそだよ、うちでゆっくり休んでいけばいい。悪いようにはしない」

たしなめる友人の声を無視する傲慢なその態度は、マキアスがもっとも嫌うタイプと同じいやらしさを持っていた。それに、どうにもその男がリィンへと視線が気に食わない。

「ユーリが男相手にやさしいこということが気持ち悪い」
「だってあいつら、男にしては変な色気? みたいなのあるだろ」
「いい加減、そういうのやめた方がいいと思うよユーリ。悪いことをしたらちゃんと謝罪しなさいってこの前も言われたところじゃないか」

囁きあわれる自分たちを評価しているらしい声に、リィンは自分を守るように両腕を抱きしめて震える。

「……クロ、…の、……っ」

俯いたまま、リィンが何かを呟く。それを必死に聞き取ろうと身をかがめて口元に耳を寄せた時、住宅街に複数人の足音と新たな声が響いた。

「何があったんですか」
「特務支援課のみなさん、実は……」

婦人がほっとしたように声を上げた。導力自動車を運転していた少年たちは反対に舌うちして面白くなさそうな顔をみせる。
住宅街の事故現場に現れたのは見た目におもしろいほど統一感のない6人の年若い男女。マキアスはそのなかの一人に、見覚えがあった。

「エリィさん」

名を呼ばれた灰銀の髪の少女が、マキアスとリィンへ灰色の視線を向ける。

「えっとたしかレーグニッツ知事の息子さんのマキアスくん……?」
「マキアス・レーグニッツです」

会釈すれば、エリィもにっこりと笑って返してくれる。

「こんなところで会うなんて、お友達の怪我は大丈夫? 病院へ運びましょうか」
「知事?」

茶色の髪の男が首を傾げる。ジャケットの背中にはCSPDの文字、胸にはSSSと書かれたバッジをつけて、先ほどまで関係者に色々と聞きこんでいた。

「えっと、あの」

エリィが少し言葉を濁す。
クロスベル独立の住民投票を控えたクロスベルに、帝国都知事の子息が旅行名目でプライベートできて事故に巻き込まれたとなればいろいろとややこしい事態になりかねない。
エリィの頭の中でも、そう結論を出したのか。婦人の家にお世話になることや病院をリィンが嫌がるのも、そのせいか。――少年たちとは単に関わり合いになりたくないだけではないかと思うが。

「……クロスベル警察?」

そのジャケットの男の正体を推察すれば、首肯された。

「クロスベル警察特務支援課のロイド・バニングスです」

自動車事故だ、確かに警察を呼ぶ事案だろう。
どう対応するべきか、考える。
そうしていつも、どれだけの選択をリィンに強いていたのか不覚にも思い知らされた。特別実習や旧校舎の探索でいつも迷いなく選択していたように見えたリィンは、今はマキアスの腕の中でぐったりと身を預けている。顔色は悪いを通り越して塩のように蒼白だ。
どうしようもなく愚かで傲慢で、けれど大切な、仲間。いつだってまわりの人間を守ることしか考えずに暴走してはまわりにそれ以上の心配をかけて、誑し込む性質の悪い男。この男を守るには、どうするべきだろう。

「えっと、じゃあお友達は一度特務支援課で休ませてあげたらどうかしら。少し待って、それでも目を覚まさなければ聖ウルスラ病院へ運びましょう。うちなら車もあるし」

エリィの言葉に、マキアスは頭を下げる。
警察のお世話になる、という事態はあまりよくはないのかもしれないが。それでも、数回だけ挨拶をした程度ではあるけれどそれで知る彼女の人柄を考えれば悪いことにはならないだろうという確信がある。

「ありがとうございます。あともしよければ」

――通信機を、貸していただいていいですか?
マキアスの頼みに、エリィとロイドは頷いた。

「リィンからあなたへの伝言です。『クロウの嘘つき、馬鹿、守るって言ったくせに助けろ』以上です」

クロスベル警察特務支援課のビルの一階。応接セットのソファにリィンは寝かされていた。
濡れた服は脱がして、ちょうど百貨店で買って持っていた服に着替えさせた。髪ももう乾いていつもどおりのスタイルだ。運び込まれて服を着替えてから、マキアスは特務支援課の面々の前でことの次第を説明した。暴走導力車に乗っていた少年たちは警察署のほうでしかるべき手続きを受けているらしい。共和国の成金の子供だという彼らは殺しかけたリィンが帝国の貴族だと知ったらどう思うのだろう。あまり愉快な思考になりそうになくて、マキアスは首を振る。
キーアと名乗る子供とツァイトという警察犬がリィンを見てくれている中、支援課の通信機でトリスタにいる男のARCUS宛に通信を繋げて告げる。

『は? 意味がわかんねぇんだけど――何があった?』
「僕だって意味がわかりませんよ、あなたとリィンの間で何があったのかを詮索するつもりもありません」
『おい……?』
「ただ、現に今リィンは倒れて、あなたを呼んでるんです」
『倒れたって、おい落ち着いて何があったのかちゃんと報告しろ』

通信相手の冷静な様子に、無性に腹が立ってくる。
何故、この男を呼ぶのか。

「あの馬鹿がまた他人を助けようとして倒れたんですよ。正確に言うなら、車に轢かれそうになった子供を助けて池に落ちました」
『池……? おまえらクロスベルにいるんだよな? 湖じゃなく池?』

何故そこで、湖という単語が出てくるのか、マキアスは一瞬わからなかった。

『いや、そういや住宅街にあったか……』
「なんでそんなにクロスベルの地理に詳しいんですか」

訊ねる声は、どこか呆れが混じっている。

『趣味の卓上旅行でちょっと、な』
「おっしゃるとおり、住宅街でいろいろあったんですよ」

間髪いれぬ答えに胡散臭さを感じながら、情報を隠す気はなく素直に応えてやる。クロウのためじゃない、リィンのためだ。

「だから、今すぐクロスベルまで来てください。できそうなら、あなたともう一人誰か連れてきてくれるとチケットが無駄にならなくて済む」
『チケット?』
「ええ、リニューアル公演に向けての休演前のアルカンシェルの最終公演ですよ」
『なんでそんなもん持ってんだ』
「もらいました」

事実を告げれば、通信先のクロウが嘆息する気配を感じる。

『……チケットは二枚か』
「ええ。リィンはおそらくいけないでしょうしあなたに渡す気もあまりないので」

もっとも。リィンがいけないならばクロウもいかないんじゃないかという気はしている。

『それでクロスベルにいって何をやればいいんだ?』
「クロスベル警察特務支援課のビルにいます」
『特務支援課……ね』

告げるべきことを告げて、挨拶もそこそこに通信を切断する。

「マキアス、だいじょうぶ?」

キーアが心配そうに見上げてくる。

「僕は大丈夫だよ」
「でもマキアスの顔色、リィンと同じくらい悪いよ……キーア、コーヒーいれるから、リィンと一緒に休んだ方がいいよ」
「君がいれるのか?」
「うん。キーア、ごはんだって作れるからコーヒーもだいじょうぶだよ」

こんなに幼いのに、しっかりしているものだと感心する。脳裏にⅦ組の年少の二人の姿を思い浮かべて、その差に苦笑した。

「ありがとう。じゃあ僕も一緒に用意しよう。リィンのことはツァイトに見てもらっていいかな」
「うん、ツァイトが任せておけって言ってるよ」

にっこりと笑うキーアの笑顔に、ささくれ立った心が癒されていく気がする。

「おいユーシス、ちょっとツラ貸せ」
「……は?」

トリスタのトールズ士官学院第三寮の一室。ノックもなしにドアが開けられ放たれた第一声に、ユーシスは不機嫌そうに眼を眇めた。

pixiv [2013年12月13日]
© 2013 水瀬

BACK HOME NEXT

0